2024年02月29日
妻と僕の物語
昭和60年、春遠からじ2月ころ、友人に誘われて群馬県の宝台樹にスキーに行った。 友人が女の子三人来るからと言う。
その餌につられ速攻参加を決めたのだった。
友人のワゴン車の中ではじめましての 二人だった。
スキーを楽しみ 帰りの車中でトランプなどして遊んだことを覚えている。よく笑う笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
携帯電話などない時代、必死になって電話番号を聞いたっけ。。。
何日もしないうちに、緊張しながら受話器を握っていた。
案の定、母親が出た。名前を伝え彼女を呼んでもらった。何を話したのかは全然覚えていない。
覚えているのは、次の木曜日、井の頭公園で会う約束を取り付けたことだけだ。
木曜日の夕方、彼女の仕事終わりを待ってベンチに座っていた。
息をを切らせ頬を染め、小走りに駆け寄る姿をはっきり覚えている。
可愛かった。
何を話したのか、まるっきり覚えていない。公園の池の周りをひたすら歩き回った。
家まで送って行き、母親に挨拶をした。
にこにこ笑う母親の顔を覚えている。
それから 休みの日は二人であちこちに出かけた。
テニスがしたい、というので、彼女の父親の車を借りて、清里まで出かけた。
お金のない僕は、夜にテニスコートに忍び込みこっそり二人でテニスもどきをして遊んだ。
こんなテニスは初めてだと、無邪気に笑う彼女が とても愛おしかった。
今では立派な犯罪だ。
車中泊は当たり、夕飯は一つのラーメンを分け合って食べたりもした。
楽しかった。
二人は休みの日はいつも一緒に過ごした。
特に何かするわけでもなく、吉祥寺や渋谷、新宿・立川などぶらぶらして一緒の時間を楽しんだ。
ポケットの小銭をかき集め、いつも待ち合わせ場所に駆け付けた。
当時僕は半分学生、半分勤め人だった。給料は月に9万円弱だった。
そのころ、彼女の父親が病気入院中だった。
病院にお見舞いに行って その後 話がどんどん進んでいった。
5月に結納、9月に結婚式を挙げることとなった。
彼女の友達は皆心配したらしい。二人は周りの心配をよそに 楽しく忙しい時を過ごした。
半分学生の貯金は19万円だった。
9月1日、周りの人たちに支えられ 結婚式を挙げた。
調布は国領のアパートに新居を構えた。
はじめて風呂付のアパートに住んだ。はじめてマイカーなるものを持った。
50万弱の中古のマツダファミリア1500ccだ。
日々のご飯の心配はなく、風呂も銭湯じゃない。車も買った。
結婚ていいなぁ・・・と、しみじみ思った。
貯金がだんだん減っていく、結婚て大変ね・・・後で彼女が言っていた。
昭和62年2月8日 日曜の朝6時30分ころ、長男が生まれた。
土曜の朝、腰が痛いと言っていた。
陣痛じゃねぇ?
冷えて腰が痛いだけよ。。。
夕方帰ると まだ痛いという。どうも陣痛らしいと。。。
病院に連れて行き そのまま入院となった。
ドラマのように、分娩室の前で祈りながら産声を待つのかと思いきや、父親は自宅待機。
産まれたら、その場から電話がかかってくるという、当時新手のサービスらしい。
日曜の朝、電話がかかってきた。。。
よろこぶ声も聴けて、、、感無量だった。。。
昭和63年春、地元に帰り 自営の仕事を始めた。
平成元年、3年、4年と長女・次男・次女と授かり、6人家族となった。
彼女は子育てに忙しく、でも、とても嬉しそうに毎日過ごした。
僕は子供たちを彼女に任せ、山や渓で遊び惚けていた。
愚痴一つ言わないで、いつも笑顔で送り出してくれた。
彼女の父親は 長男の顔を見て 天国に旅立った。
僕の父は 長女の顔を見て 彼女の父の元へと旅立った。
夏の海水浴、冬のスキーは年中行事。暇さえあれば遊んでいた。
自然に恵まれたド田舎、花見やハイキング、山菜取り、キノコ狩り。。。
そうそう、軽井沢にSLも見に行ったっけ。
みんなで食べた、横川の釜めし、うまかったなぁ。。。
子供たちも大きくなり 手がかからなくなったころから
2人で山を歩くようになった。近場の里山から、北・南アルプス等々、、、
夏休みや連休は テントを担いであちこちに出かけた。
北デビューは荒天の槍ヶ岳だった。
登頂を果たした夜、肩のテン場で一晩中テントポールを押さえていた。
隣の学生パーティーはポールが折れたと大騒ぎ、撤収していた。
もう行かないと言うのかと思いきや、雨の下山中、次はどこのお山?って聞いてきた。
にこにこ笑い、楽しそうに。
鷲羽・水晶・高天原・雲の平、もう一度行きたいってずっと言っていた。
3泊4日の長旅も笑顔で歩きとおした。温泉沢の風呂が気に入ったみたいだ。
鷲羽・水晶の絶景、霧の雲の平、双六の熊のうんち、よく覚えている。
鳥倉から荒川三山、高山裏のおっちゃん、面白い人だったなぁ。
農鳥のおやじと双璧だ。
真珠婚山行の、燕~大天井~常念~蝶~上高地。
蝶のテン場で隣のテントの若者が 必死に彼女を口説いている声がきこえたと、
ぐっすり寝ていた僕を たたき起こしたっけ。
下山後のソフトクリームをうまそうに食べてたなぁ。
聖から赤石、でっかい山をちっぽけな二人で歩いた。
百閒洞のとんかつ、結構胃にどんときた。
赤石の山頂で 富士山のほうから登る朝日を背に受け、オレンジに染まる姿を忘れない。
立山縦走、劒沢テン場から眺めた劒の雄姿、すばらしかった。
昼寝する僕の傍らで すっと劒を眺めていた。
富士山は何回も登った。長男夫婦とも登ったりもした。
雲取山あたりで高所障害っぽくなる彼女、不思議と日本一は頑張った。
いつも9合目あたりで クラクラするって言っていた。
四季折々の里山、愛犬を連れてよく歩いた。
松ぼっくりを追いかける愛犬をなだめるのに苦労した。
紅葉の牛の寝通り、大菩薩界隈、丸川荘はお気に入りだった。
九鬼・ビッキーのいた高川・岩殿・三つ峠・杓子・鹿留、御坂山塊、,八つなど清里周り。
櫛形山の山友との集まり、天園のタケノコ、飲んで食べて、喋って、
楽しく素敵な時間を過ごした。
子供たちもみな家庭を築き、2人づつの孫にも恵まれた。
8人のジジババとなった2人 この上ない幸せに浸る。
日本三景に行こうとはなして、宮島に出かけた。
マチュピチュやエベレスト街道を人生のご褒美に歩こうと決めた。
音楽が好きな彼女、ピアノ、リコーダーやウクレレを奏でた。
クリコーダーや辻井君のピアノを聞きに行ったりもした。
ラフマニノフって何?て僕だけど それはそれは感動した。
ふとしたきっかけで、上々颱風の復活コンサートに山形まで出かけた。
彼女がとても気に入り、星ノ飛ブ夜にはまる。音楽っていいもんだと 最近つくづく感じている。
令和5年6月11日。
久々に大菩薩に行こうと出かけた。上日川の駐車場満車、人で溢れかえっていた。
人混みは嫌いなので 源次郎に向かい、車を林道に止めて歩き出す。
なかなかペースが上がらず辛そうな彼女、体調が悪そうなので 山は諦め帰ってきた。
すまなそうな悲しそうな顔が脳裏に焼き付いている。
12日発熱、病院に行く。コロナ陰性、解熱剤処方され帰宅。
15日、台所に立っているのも辛い。総合病院に行かせる。
そのまま入院となる。諸検査の結果、レジオネラ肺炎と診断され、ICUに。
抗生剤点滴、その他もろもろ処置を行う、5日後一般病棟へ。
なかなかすっきり改善せず、さらに精密検査。
白血病といわれる。
7月4日大学病院血液内科に転院。
急性骨髄性白血病の診断、染色体異常3つあるといわれる。
8月6日様態悪化、毎日のように足を運ぶ。
9日病院に頼み込み一緒にいさせてもらう。
14日夜中、眠るように息を引き取る。心電図が直線になったとき涙がポロリと彼女のほほを伝った。
僕は手を握りしめていた。
8月の6日まで毎日ラインで繋がっていた。
最後の言葉は「愛しているよ、たのしいこといっぱいしてね」だった。
中型免許を取った。バイクも買った。山も歩く。マチュピチュもエベレスト街道も、日本三景も行く。
まだ物語は終わっていない。
その餌につられ速攻参加を決めたのだった。
友人のワゴン車の中ではじめましての 二人だった。
スキーを楽しみ 帰りの車中でトランプなどして遊んだことを覚えている。よく笑う笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
携帯電話などない時代、必死になって電話番号を聞いたっけ。。。
何日もしないうちに、緊張しながら受話器を握っていた。
案の定、母親が出た。名前を伝え彼女を呼んでもらった。何を話したのかは全然覚えていない。
覚えているのは、次の木曜日、井の頭公園で会う約束を取り付けたことだけだ。
木曜日の夕方、彼女の仕事終わりを待ってベンチに座っていた。
息をを切らせ頬を染め、小走りに駆け寄る姿をはっきり覚えている。
可愛かった。
何を話したのか、まるっきり覚えていない。公園の池の周りをひたすら歩き回った。
家まで送って行き、母親に挨拶をした。
にこにこ笑う母親の顔を覚えている。
それから 休みの日は二人であちこちに出かけた。
テニスがしたい、というので、彼女の父親の車を借りて、清里まで出かけた。
お金のない僕は、夜にテニスコートに忍び込みこっそり二人でテニスもどきをして遊んだ。
こんなテニスは初めてだと、無邪気に笑う彼女が とても愛おしかった。
今では立派な犯罪だ。
車中泊は当たり、夕飯は一つのラーメンを分け合って食べたりもした。
楽しかった。
二人は休みの日はいつも一緒に過ごした。
特に何かするわけでもなく、吉祥寺や渋谷、新宿・立川などぶらぶらして一緒の時間を楽しんだ。
ポケットの小銭をかき集め、いつも待ち合わせ場所に駆け付けた。
当時僕は半分学生、半分勤め人だった。給料は月に9万円弱だった。
そのころ、彼女の父親が病気入院中だった。
病院にお見舞いに行って その後 話がどんどん進んでいった。
5月に結納、9月に結婚式を挙げることとなった。
彼女の友達は皆心配したらしい。二人は周りの心配をよそに 楽しく忙しい時を過ごした。
半分学生の貯金は19万円だった。
9月1日、周りの人たちに支えられ 結婚式を挙げた。
調布は国領のアパートに新居を構えた。
はじめて風呂付のアパートに住んだ。はじめてマイカーなるものを持った。
50万弱の中古のマツダファミリア1500ccだ。
日々のご飯の心配はなく、風呂も銭湯じゃない。車も買った。
結婚ていいなぁ・・・と、しみじみ思った。
貯金がだんだん減っていく、結婚て大変ね・・・後で彼女が言っていた。
昭和62年2月8日 日曜の朝6時30分ころ、長男が生まれた。
土曜の朝、腰が痛いと言っていた。
陣痛じゃねぇ?
冷えて腰が痛いだけよ。。。
夕方帰ると まだ痛いという。どうも陣痛らしいと。。。
病院に連れて行き そのまま入院となった。
ドラマのように、分娩室の前で祈りながら産声を待つのかと思いきや、父親は自宅待機。
産まれたら、その場から電話がかかってくるという、当時新手のサービスらしい。
日曜の朝、電話がかかってきた。。。
よろこぶ声も聴けて、、、感無量だった。。。
昭和63年春、地元に帰り 自営の仕事を始めた。
平成元年、3年、4年と長女・次男・次女と授かり、6人家族となった。
彼女は子育てに忙しく、でも、とても嬉しそうに毎日過ごした。
僕は子供たちを彼女に任せ、山や渓で遊び惚けていた。
愚痴一つ言わないで、いつも笑顔で送り出してくれた。
彼女の父親は 長男の顔を見て 天国に旅立った。
僕の父は 長女の顔を見て 彼女の父の元へと旅立った。
夏の海水浴、冬のスキーは年中行事。暇さえあれば遊んでいた。
自然に恵まれたド田舎、花見やハイキング、山菜取り、キノコ狩り。。。
そうそう、軽井沢にSLも見に行ったっけ。
みんなで食べた、横川の釜めし、うまかったなぁ。。。
子供たちも大きくなり 手がかからなくなったころから
2人で山を歩くようになった。近場の里山から、北・南アルプス等々、、、
夏休みや連休は テントを担いであちこちに出かけた。
北デビューは荒天の槍ヶ岳だった。
登頂を果たした夜、肩のテン場で一晩中テントポールを押さえていた。
隣の学生パーティーはポールが折れたと大騒ぎ、撤収していた。
もう行かないと言うのかと思いきや、雨の下山中、次はどこのお山?って聞いてきた。
にこにこ笑い、楽しそうに。
鷲羽・水晶・高天原・雲の平、もう一度行きたいってずっと言っていた。
3泊4日の長旅も笑顔で歩きとおした。温泉沢の風呂が気に入ったみたいだ。
鷲羽・水晶の絶景、霧の雲の平、双六の熊のうんち、よく覚えている。
鳥倉から荒川三山、高山裏のおっちゃん、面白い人だったなぁ。
農鳥のおやじと双璧だ。
真珠婚山行の、燕~大天井~常念~蝶~上高地。
蝶のテン場で隣のテントの若者が 必死に彼女を口説いている声がきこえたと、
ぐっすり寝ていた僕を たたき起こしたっけ。
下山後のソフトクリームをうまそうに食べてたなぁ。
聖から赤石、でっかい山をちっぽけな二人で歩いた。
百閒洞のとんかつ、結構胃にどんときた。
赤石の山頂で 富士山のほうから登る朝日を背に受け、オレンジに染まる姿を忘れない。
立山縦走、劒沢テン場から眺めた劒の雄姿、すばらしかった。
昼寝する僕の傍らで すっと劒を眺めていた。
富士山は何回も登った。長男夫婦とも登ったりもした。
雲取山あたりで高所障害っぽくなる彼女、不思議と日本一は頑張った。
いつも9合目あたりで クラクラするって言っていた。
四季折々の里山、愛犬を連れてよく歩いた。
松ぼっくりを追いかける愛犬をなだめるのに苦労した。
紅葉の牛の寝通り、大菩薩界隈、丸川荘はお気に入りだった。
九鬼・ビッキーのいた高川・岩殿・三つ峠・杓子・鹿留、御坂山塊、,八つなど清里周り。
櫛形山の山友との集まり、天園のタケノコ、飲んで食べて、喋って、
楽しく素敵な時間を過ごした。
子供たちもみな家庭を築き、2人づつの孫にも恵まれた。
8人のジジババとなった2人 この上ない幸せに浸る。
日本三景に行こうとはなして、宮島に出かけた。
マチュピチュやエベレスト街道を人生のご褒美に歩こうと決めた。
音楽が好きな彼女、ピアノ、リコーダーやウクレレを奏でた。
クリコーダーや辻井君のピアノを聞きに行ったりもした。
ラフマニノフって何?て僕だけど それはそれは感動した。
ふとしたきっかけで、上々颱風の復活コンサートに山形まで出かけた。
彼女がとても気に入り、星ノ飛ブ夜にはまる。音楽っていいもんだと 最近つくづく感じている。
令和5年6月11日。
久々に大菩薩に行こうと出かけた。上日川の駐車場満車、人で溢れかえっていた。
人混みは嫌いなので 源次郎に向かい、車を林道に止めて歩き出す。
なかなかペースが上がらず辛そうな彼女、体調が悪そうなので 山は諦め帰ってきた。
すまなそうな悲しそうな顔が脳裏に焼き付いている。
12日発熱、病院に行く。コロナ陰性、解熱剤処方され帰宅。
15日、台所に立っているのも辛い。総合病院に行かせる。
そのまま入院となる。諸検査の結果、レジオネラ肺炎と診断され、ICUに。
抗生剤点滴、その他もろもろ処置を行う、5日後一般病棟へ。
なかなかすっきり改善せず、さらに精密検査。
白血病といわれる。
7月4日大学病院血液内科に転院。
急性骨髄性白血病の診断、染色体異常3つあるといわれる。
8月6日様態悪化、毎日のように足を運ぶ。
9日病院に頼み込み一緒にいさせてもらう。
14日夜中、眠るように息を引き取る。心電図が直線になったとき涙がポロリと彼女のほほを伝った。
僕は手を握りしめていた。
8月の6日まで毎日ラインで繋がっていた。
最後の言葉は「愛しているよ、たのしいこといっぱいしてね」だった。
中型免許を取った。バイクも買った。山も歩く。マチュピチュもエベレスト街道も、日本三景も行く。
まだ物語は終わっていない。
2021年02月15日
さんちゃんと山歩 柳沢峠~丸川荘
2021年2月14日 バレンタインデー。。。
富士山の向こうから 大きい山友とちっちゃい山友&青春真っただ中の山友が
只木さんちにお泊りしてるというので さんちゃんと会いに行ってきました。
凍結した山道ですってんころりん・・・チェーンスパイク忘れました。。。
日陰では脛まである残雪、さんちゃんはご機嫌ではしゃぎまわる。。。
誰かのトレースに引っ張られ 変なところを上り下り・・・
二人で右往左往しながら 丸川荘までプチ山歩でした。。。
只木さんちで 珈琲&おしゃべりタイム
ちっちゃい山友&さんちゃん
山頂ははなっから踏む気はありませんでした。。。
ストーブを囲み 只木さんとおっきい人との とめどない話に 時間があっという間に過ぎて行く・・・
で、夕方に所用があったので お昼前に
かみさんへの お土産を求め 小屋を後にしました。。。
※右側は初代 左側は最新作
世界に一つだけの自慢のコーヒーカップです。
富士山の向こうから 大きい山友とちっちゃい山友&青春真っただ中の山友が
只木さんちにお泊りしてるというので さんちゃんと会いに行ってきました。
凍結した山道ですってんころりん・・・チェーンスパイク忘れました。。。
日陰では脛まである残雪、さんちゃんはご機嫌ではしゃぎまわる。。。
誰かのトレースに引っ張られ 変なところを上り下り・・・
二人で右往左往しながら 丸川荘までプチ山歩でした。。。
只木さんちで 珈琲&おしゃべりタイム
ちっちゃい山友&さんちゃん
山頂ははなっから踏む気はありませんでした。。。
ストーブを囲み 只木さんとおっきい人との とめどない話に 時間があっという間に過ぎて行く・・・
で、夕方に所用があったので お昼前に
かみさんへの お土産を求め 小屋を後にしました。。。
※右側は初代 左側は最新作
世界に一つだけの自慢のコーヒーカップです。
2020年11月30日
さんちゃんと山歩 鈴庫山
柳沢峠の駐車場から 鈴庫山までちょいとお山歩してきた日曜日でした。
10:00駐車場~11:40鈴庫山(珈琲タイム)~12:15ハンゼノ頭(お握りタイム)~13:00駐車場
三窪高原のハンゼノ頭でお握りたべて 戻ってきました。
お昼過ぎから雲がかげり 肌寒くなりました。。。
遠く南アルプスの稜線は 白くなりはじめていました。
2020年11月25日
コノハナサクヤ姫
11月の19日、、、
富士吉田は浅間神社での 長女のとこの孫2人の七五三の日の出来事。。。
春のように暖かで風もない 麗らかな午後。
銀杏の大木の下で落ち葉で 戯れる孫達。
優しく見つめる かみさん。
その時、、、
一陣の風が、、、
綺麗に色づいた 葉を落とした。。。
木花開耶姫が 一陣の風に乗り 孫達のもとに舞い降りた。。。
ような 気がした。。。
木花開耶姫が孫達の弥栄を見守ってくれている。。。
ような 気がした。。。
麗らかな 11月19日木曜日午後の出来事。。。
富士吉田は浅間神社での 長女のとこの孫2人の七五三の日の出来事。。。
春のように暖かで風もない 麗らかな午後。
銀杏の大木の下で落ち葉で 戯れる孫達。
優しく見つめる かみさん。
その時、、、
一陣の風が、、、
綺麗に色づいた 葉を落とした。。。
木花開耶姫が 一陣の風に乗り 孫達のもとに舞い降りた。。。
ような 気がした。。。
木花開耶姫が孫達の弥栄を見守ってくれている。。。
ような 気がした。。。
麗らかな 11月19日木曜日午後の出来事。。。
2020年11月24日
さんちゃんと山歩 鹿倉山
23日の日曜日、山梨県東部小菅村~丹波山村の間の林道から
大丹波峠経由で鹿倉山までかみさんとさんちゃんと山歩してきました。
9:30頃県道登山道入口~11:00頃鹿倉山山頂(お握りタイム)~13:00登山道入口
大丹波峠では鉄砲ぶちのおっちゃんとお話。
「甲斐犬、かっこいいねぇ~」と褒められ
ちょっとムフフなヲイラでした。。。
松ぼっくりを、銜えたり離したり追っかけたり
さんちゃんは 楽しそうでした。
リードを持つヲイラは ひやひやでしたがねぇ。。。
落ち葉カサカサ、サクサクの道をぽてぽて歩く。。。
って言っても、ほとんど林道歩きですがね。。。
そんなこんなで 山頂。。。
だぁ~れもいない山頂でお握りタイム&珈琲タイム。。。
最近コンビニのスイーツにはまる じいとばあ。。。
なんとかプリンとなんちゃらシュークリームなどをいただきました。。。旨し。。。
来た道をピストンして車まで戻りました。。。
さんちゃん今回もよく歩いてくれましたよ。。。
大丹波峠経由で鹿倉山までかみさんとさんちゃんと山歩してきました。
9:30頃県道登山道入口~11:00頃鹿倉山山頂(お握りタイム)~13:00登山道入口
大丹波峠では鉄砲ぶちのおっちゃんとお話。
「甲斐犬、かっこいいねぇ~」と褒められ
ちょっとムフフなヲイラでした。。。
松ぼっくりを、銜えたり離したり追っかけたり
さんちゃんは 楽しそうでした。
リードを持つヲイラは ひやひやでしたがねぇ。。。
落ち葉カサカサ、サクサクの道をぽてぽて歩く。。。
って言っても、ほとんど林道歩きですがね。。。
そんなこんなで 山頂。。。
だぁ~れもいない山頂でお握りタイム&珈琲タイム。。。
最近コンビニのスイーツにはまる じいとばあ。。。
なんとかプリンとなんちゃらシュークリームなどをいただきました。。。旨し。。。
来た道をピストンして車まで戻りました。。。
さんちゃん今回もよく歩いてくれましたよ。。。
2020年11月16日
さんちゃんと山歩 三国山~高指山
かみさんとさんちゃんと一緒に 三国峠から三国山~高指山を歩いてきました。
なだらかな稜線歩きは お天気にも恵まれ 楽しい山歩となりました。。。
8:310頃三国峠駐車場~8:50頃三国山~三国峠~9:40頃明神山(鉄砲木ノ頭)~11:00頃高指山(お握りタイム)11:30~
13:00頃三国峠駐車場
駐車場からサクッと・・・三国山をピストン。。。
高指山目指して 鉄砲木ノ頭へ。。。
鉄砲木ノ頭(明神山)からの絶景。。。
歩きやすい稜線の山道、さんちゃんもご機嫌。。。
なだらかに下って行き 切通峠からひと登りで・・・
高指山。。。またまた絶景。。。
すすきの原から山中湖&富士山。。。
ベンチでお握りと珈琲なんぞいただいたら、、、
来た道をのんびり引き返しました。。。。
昼頃から日本一に雲がかかりだす。。。
帰り道のさんちゃんは穴を掘ったり 落ち葉に顔を突っ込んだり 楽しそうに歩いていました。。。
なだらかな稜線歩きは お天気にも恵まれ 楽しい山歩となりました。。。
8:310頃三国峠駐車場~8:50頃三国山~三国峠~9:40頃明神山(鉄砲木ノ頭)~11:00頃高指山(お握りタイム)11:30~
13:00頃三国峠駐車場
駐車場からサクッと・・・三国山をピストン。。。
高指山目指して 鉄砲木ノ頭へ。。。
鉄砲木ノ頭(明神山)からの絶景。。。
歩きやすい稜線の山道、さんちゃんもご機嫌。。。
なだらかに下って行き 切通峠からひと登りで・・・
高指山。。。またまた絶景。。。
すすきの原から山中湖&富士山。。。
ベンチでお握りと珈琲なんぞいただいたら、、、
来た道をのんびり引き返しました。。。。
昼頃から日本一に雲がかかりだす。。。
帰り道のさんちゃんは穴を掘ったり 落ち葉に顔を突っ込んだり 楽しそうに歩いていました。。。
2020年11月06日
さんちゃんと山歩 お坊山
木曜日午後は おちごとお休み。。。
なので お昼過ぎから 笹子地区は桜公園奥の林道ゲートより お坊山まで山歩してきました。
12:30ゲート~14:00頃山頂・お握りタイム~15:00頃ゲート。。。
晩秋の落ち葉の杣道を さんちゃんとカサカサ言わせながら 至福の時を過ごしてきました。。。
山頂のさんちゃん。。。
遠望の利く山頂。。。蒼い山並み。。。
山頂でおにぎりを分け合って食べたら 落ち葉の蹴散らしながら 下山しました。。。
さんちゃん、今日もよく歩いてくれました。。。
なので お昼過ぎから 笹子地区は桜公園奥の林道ゲートより お坊山まで山歩してきました。
12:30ゲート~14:00頃山頂・お握りタイム~15:00頃ゲート。。。
晩秋の落ち葉の杣道を さんちゃんとカサカサ言わせながら 至福の時を過ごしてきました。。。
山頂のさんちゃん。。。
遠望の利く山頂。。。蒼い山並み。。。
山頂でおにぎりを分け合って食べたら 落ち葉の蹴散らしながら 下山しました。。。
さんちゃん、今日もよく歩いてくれました。。。
2020年11月02日
さんちゃんと山歩 三窪高原~倉掛山
かみさんとさんちゃんと一緒に 倉掛山までお山歩してきました。
8:40頃柳沢峠駐車場発~12:00前倉掛山(お昼ご飯)~14:30頃駐車場に戻りました。
三窪高原からの稜線歩きは 日本一がサイコー!
白根三山もばっちり!
塩見~悪沢~赤石~聖もばっちり見えていました。。。(なぜか写真撮れてない?)。。。
ココは展望最高でしたね。。。(ハンゼノ頭付近)。。。
板橋峠にはメガソーラー発電所があり ちょっと興ざめ。。
峠から 防火帯の草っ原を行く。。。
地味にアップダウンを繰り返し ヘロヘロしました。。。
笠取山に向かう道標を右手に見て 左側の樹林帯の中に 「倉掛山」。。。
地味~な、、、山頂。。。展望なし。。。
日当たりの良いところで 握り飯をほおばり 帰路につきました。。。
板橋峠からの登り返しがかったるかったので 林道経由で柳沢峠まで 戻りました。。。
かあちゃん・さんちゃん、よく歩きました。。。
8:40頃柳沢峠駐車場発~12:00前倉掛山(お昼ご飯)~14:30頃駐車場に戻りました。
三窪高原からの稜線歩きは 日本一がサイコー!
白根三山もばっちり!
塩見~悪沢~赤石~聖もばっちり見えていました。。。(なぜか写真撮れてない?)。。。
ココは展望最高でしたね。。。(ハンゼノ頭付近)。。。
板橋峠にはメガソーラー発電所があり ちょっと興ざめ。。
峠から 防火帯の草っ原を行く。。。
地味にアップダウンを繰り返し ヘロヘロしました。。。
笠取山に向かう道標を右手に見て 左側の樹林帯の中に 「倉掛山」。。。
地味~な、、、山頂。。。展望なし。。。
日当たりの良いところで 握り飯をほおばり 帰路につきました。。。
板橋峠からの登り返しがかったるかったので 林道経由で柳沢峠まで 戻りました。。。
かあちゃん・さんちゃん、よく歩きました。。。
2020年10月30日
さんちゃんと山歩 八重山~能岳~虎丸山
10月29日 秋晴れの午後 「さんちゃん」と一緒に
八重山~能岳~虎丸山と歩いてきました。
上野原中学前の駐車場から40分程で八重山!
ドヤ顔!?
※『八重山』は、昭和の初めに、上野原で生まれ育った水越八重さんが、上野原のまちと上野原小学校に、お世話になった恩返しにと寄付し、それにちなんで命名されました。
八重山から一回下り、登り返して
能岳!
遅いお昼ご飯を食べて 虎丸山経由で駐車場に戻りました
虎丸山には神さまが!
2時間ほどの里山ハイキングでした。。。
さんちゃん、下り坂でぐいぐい引っ張らずに上手に歩いてくれました。。。
八重山~能岳~虎丸山と歩いてきました。
上野原中学前の駐車場から40分程で八重山!
ドヤ顔!?
※『八重山』は、昭和の初めに、上野原で生まれ育った水越八重さんが、上野原のまちと上野原小学校に、お世話になった恩返しにと寄付し、それにちなんで命名されました。
八重山から一回下り、登り返して
能岳!
遅いお昼ご飯を食べて 虎丸山経由で駐車場に戻りました
虎丸山には神さまが!
2時間ほどの里山ハイキングでした。。。
さんちゃん、下り坂でぐいぐい引っ張らずに上手に歩いてくれました。。。