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2024年02月29日

妻と僕の物語

昭和60年、春遠からじ2月ころ、友人に誘われて群馬県の宝台樹にスキーに行った。 友人が女の子三人来るからと言う。
その餌につられ速攻参加を決めたのだった。

友人のワゴン車の中ではじめましての 二人だった。

スキーを楽しみ 帰りの車中でトランプなどして遊んだことを覚えている。よく笑う笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。
携帯電話などない時代、必死になって電話番号を聞いたっけ。。。

何日もしないうちに、緊張しながら受話器を握っていた。
案の定、母親が出た。名前を伝え彼女を呼んでもらった。何を話したのかは全然覚えていない。
覚えているのは、次の木曜日、井の頭公園で会う約束を取り付けたことだけだ。

木曜日の夕方、彼女の仕事終わりを待ってベンチに座っていた。
息をを切らせ頬を染め、小走りに駆け寄る姿をはっきり覚えている。

可愛かった。

何を話したのか、まるっきり覚えていない。公園の池の周りをひたすら歩き回った。

家まで送って行き、母親に挨拶をした。
にこにこ笑う母親の顔を覚えている。

それから 休みの日は二人であちこちに出かけた。

テニスがしたい、というので、彼女の父親の車を借りて、清里まで出かけた。
お金のない僕は、夜にテニスコートに忍び込みこっそり二人でテニスもどきをして遊んだ。
こんなテニスは初めてだと、無邪気に笑う彼女が とても愛おしかった。

今では立派な犯罪だ。

車中泊は当たり、夕飯は一つのラーメンを分け合って食べたりもした。
楽しかった。

二人は休みの日はいつも一緒に過ごした。

特に何かするわけでもなく、吉祥寺や渋谷、新宿・立川などぶらぶらして一緒の時間を楽しんだ。
ポケットの小銭をかき集め、いつも待ち合わせ場所に駆け付けた。
当時僕は半分学生、半分勤め人だった。給料は月に9万円弱だった。

そのころ、彼女の父親が病気入院中だった。

病院にお見舞いに行って その後 話がどんどん進んでいった。
5月に結納、9月に結婚式を挙げることとなった。
彼女の友達は皆心配したらしい。二人は周りの心配をよそに 楽しく忙しい時を過ごした。

半分学生の貯金は19万円だった。

9月1日、周りの人たちに支えられ 結婚式を挙げた。

調布は国領のアパートに新居を構えた。
はじめて風呂付のアパートに住んだ。はじめてマイカーなるものを持った。
50万弱の中古のマツダファミリア1500ccだ。

日々のご飯の心配はなく、風呂も銭湯じゃない。車も買った。
結婚ていいなぁ・・・と、しみじみ思った。

貯金がだんだん減っていく、結婚て大変ね・・・後で彼女が言っていた。

昭和62年2月8日 日曜の朝6時30分ころ、長男が生まれた。
土曜の朝、腰が痛いと言っていた。
陣痛じゃねぇ?
冷えて腰が痛いだけよ。。。
夕方帰ると まだ痛いという。どうも陣痛らしいと。。。
病院に連れて行き そのまま入院となった。
ドラマのように、分娩室の前で祈りながら産声を待つのかと思いきや、父親は自宅待機。
産まれたら、その場から電話がかかってくるという、当時新手のサービスらしい。
日曜の朝、電話がかかってきた。。。
よろこぶ声も聴けて、、、感無量だった。。。



昭和63年春、地元に帰り 自営の仕事を始めた。
平成元年、3年、4年と長女・次男・次女と授かり、6人家族となった。
彼女は子育てに忙しく、でも、とても嬉しそうに毎日過ごした。
僕は子供たちを彼女に任せ、山や渓で遊び惚けていた。
愚痴一つ言わないで、いつも笑顔で送り出してくれた。

彼女の父親は 長男の顔を見て 天国に旅立った。

僕の父は 長女の顔を見て 彼女の父の元へと旅立った。

夏の海水浴、冬のスキーは年中行事。暇さえあれば遊んでいた。
自然に恵まれたド田舎、花見やハイキング、山菜取り、キノコ狩り。。。
そうそう、軽井沢にSLも見に行ったっけ。
みんなで食べた、横川の釜めし、うまかったなぁ。。。


子供たちも大きくなり 手がかからなくなったころから
2人で山を歩くようになった。近場の里山から、北・南アルプス等々、、、
夏休みや連休は テントを担いであちこちに出かけた。

北デビューは荒天の槍ヶ岳だった。
登頂を果たした夜、肩のテン場で一晩中テントポールを押さえていた。
隣の学生パーティーはポールが折れたと大騒ぎ、撤収していた。
もう行かないと言うのかと思いきや、雨の下山中、次はどこのお山?って聞いてきた。
にこにこ笑い、楽しそうに。

鷲羽・水晶・高天原・雲の平、もう一度行きたいってずっと言っていた。
3泊4日の長旅も笑顔で歩きとおした。温泉沢の風呂が気に入ったみたいだ。
鷲羽・水晶の絶景、霧の雲の平、双六の熊のうんち、よく覚えている。

鳥倉から荒川三山、高山裏のおっちゃん、面白い人だったなぁ。
農鳥のおやじと双璧だ。

真珠婚山行の、燕~大天井~常念~蝶~上高地。
蝶のテン場で隣のテントの若者が 必死に彼女を口説いている声がきこえたと、
ぐっすり寝ていた僕を たたき起こしたっけ。
下山後のソフトクリームをうまそうに食べてたなぁ。

聖から赤石、でっかい山をちっぽけな二人で歩いた。
百閒洞のとんかつ、結構胃にどんときた。
赤石の山頂で 富士山のほうから登る朝日を背に受け、オレンジに染まる姿を忘れない。

立山縦走、劒沢テン場から眺めた劒の雄姿、すばらしかった。
昼寝する僕の傍らで すっと劒を眺めていた。

富士山は何回も登った。長男夫婦とも登ったりもした。
雲取山あたりで高所障害っぽくなる彼女、不思議と日本一は頑張った。
いつも9合目あたりで クラクラするって言っていた。

四季折々の里山、愛犬を連れてよく歩いた。
松ぼっくりを追いかける愛犬をなだめるのに苦労した。
紅葉の牛の寝通り、大菩薩界隈、丸川荘はお気に入りだった。
九鬼・ビッキーのいた高川・岩殿・三つ峠・杓子・鹿留、御坂山塊、,八つなど清里周り。

櫛形山の山友との集まり、天園のタケノコ、飲んで食べて、喋って、
楽しく素敵な時間を過ごした。



子供たちもみな家庭を築き、2人づつの孫にも恵まれた。
8人のジジババとなった2人 この上ない幸せに浸る。

日本三景に行こうとはなして、宮島に出かけた。
マチュピチュやエベレスト街道を人生のご褒美に歩こうと決めた。


音楽が好きな彼女、ピアノ、リコーダーやウクレレを奏でた。
クリコーダーや辻井君のピアノを聞きに行ったりもした。
ラフマニノフって何?て僕だけど それはそれは感動した。

ふとしたきっかけで、上々颱風の復活コンサートに山形まで出かけた。
彼女がとても気に入り、星ノ飛ブ夜にはまる。音楽っていいもんだと 最近つくづく感じている。



令和5年6月11日。
久々に大菩薩に行こうと出かけた。上日川の駐車場満車、人で溢れかえっていた。
人混みは嫌いなので 源次郎に向かい、車を林道に止めて歩き出す。
なかなかペースが上がらず辛そうな彼女、体調が悪そうなので 山は諦め帰ってきた。
すまなそうな悲しそうな顔が脳裏に焼き付いている。

12日発熱、病院に行く。コロナ陰性、解熱剤処方され帰宅。
15日、台所に立っているのも辛い。総合病院に行かせる。
そのまま入院となる。諸検査の結果、レジオネラ肺炎と診断され、ICUに。
抗生剤点滴、その他もろもろ処置を行う、5日後一般病棟へ。
なかなかすっきり改善せず、さらに精密検査。
白血病といわれる。

7月4日大学病院血液内科に転院。
急性骨髄性白血病の診断、染色体異常3つあるといわれる。

8月6日様態悪化、毎日のように足を運ぶ。

9日病院に頼み込み一緒にいさせてもらう。

14日夜中、眠るように息を引き取る。心電図が直線になったとき涙がポロリと彼女のほほを伝った。
僕は手を握りしめていた。



8月の6日まで毎日ラインで繋がっていた。
最後の言葉は「愛しているよ、たのしいこといっぱいしてね」だった。



中型免許を取った。バイクも買った。山も歩く。マチュピチュもエベレスト街道も、日本三景も行く。



まだ物語は終わっていない。





























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Posted by yamabuki3612 at 09:07│Comments(0)よもやま話
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